葬式の簡略化を故人が希望なら簡単なもののほうが良いです。
義父母と実父を送りましたが、家族葬でいわゆる小さなお葬式でした。
義父の時は、子供とその配偶者はもちろんですが、義父の兄弟や孫まで参列しました。
またどうしてもお弔いをという、義父の友人なども少し来られていました。
しかし義母と実父の時はコロナ禍の真っただ中だったので、本人の子供と配偶者のみで、その兄弟や孫には遠慮して頂き、正真正銘の小さなお葬式になりました。
特に義母のお葬式では、息子娘の二人とその配偶者、それに近所に住む義母の妹の、合計五人の参列者という、これで良いのかと思ってしまう位に、誠に淋しい式となってしまいました。
私の妻が義母の娘なのですが、義理の兄が喪主で、この人がとても合理的でドライな思考の持ち主で、コロナ流行前の義父の葬儀を家族葬で行うと決めたのも彼でした。
義兄曰く、
「知り合いはもとより、親戚でも葬式となると義理だけで出席する人もいるだろうけから、そんな人は来てもらわない方が良い。どうしても故人とお別れしたいと心から思う人に見送られるのが、故人も嬉しいだろう。」
私も全く同意見でした。
参列者5人という義母の時なども、一見とても寂しいようですが、実際経験してみるとこじんまりと落ち着いて、まるで居間の座卓を家族で囲んでいるような気楽さと温かさが、意外と気に入りました。
故人も本当に安らかに旅立ちできたのではないかと思えました。
実父の時は、義母ほど少人数ではありませんでしたが、子供と孫だけという気安さから、精進落としも正式な会席ではなくマグドナルドで済ますという、全くの節約葬式でした。
生前、葬式なんか要らないと言ってたほどの父でしたから、その方が父も納得するだろうという、都合の良い解釈であちこち簡略化しました。
世間的な義理や見得に縛られず、各家庭の実情に合った自由な送り方をできるところが、小さなお葬式の最も良い点なのではないかと思います。
ただ、葬儀後に、是非お線香の一本でもという、個人的な弔問客が何回かあるのが、煩わしい点ではあります。